BOW SAN TO N-WORKS
Bow san to N-works Diary
Bowさんとの記憶に想ひを馳せて。
How Bow san Meet
学生の頃、マツダM2ビルでの展示会、友人のお父さんがBowさんと友達で見に行ったのが、最初の出会い。
父の車好きの影響もあり、MGB(5マイルバンパー)で車デビュー。散々色々乗り回したし、沢山壊れたし、直したし、エンジンもミッションもダメになって、ボディも腐って板金もした。
その後、構造・機関への興味と探究心止まらず、車屋に入り浸ってしまう。そんな学生時代、そこでまたしてもBowさん率いるBowKenRacingと出会い、サーキット等手伝わせて貰い親交を通わせて行った。現在は、MGBGTを所有している。
19-20歳頃からの心の拠り所として
(Bowさんとのファミレスでの思い出)
時間があった学生時代、たびたび友人たちを連れ出しては、車でBowさんのとこへ出かけて行った。決まっていつもファミレス、車が停められて、ドリンクだけで何時間も一緒に過ごしてくれた。いつもご馳走してくれて、夜が深けていくほど、目が覚めていくBowさんとのやりとりは楽しくもどこか、子供の延長線のような僕らをアダルトなイケてる叔父さんのような錯覚にさせ、昔ダイナーと呼ばれた、原宿のルート5や、オリンピアコーポにでも繰り出したかのような感覚が大好きだった。
後に、〆切間際のカーマガジンの方をファミレスへ呼び出しているところなんかを見た時に一瞬ヒヤッとした、気持ちにさせたこともあった。
僕らと時間潰しちゃって、来月号の表紙に関わることでもあったら大変だから。
成人とは名ばかりの生ぬるい僕らの話をよく聞いてくれた、時にズバッとした意見もしてくれるBowさんもまた、若い時に色々な葛藤があったということは、後にBowさんの1984年の著書「毎日が単独飛行」を読んで知った。
自動車デザイナーになりたいと入学した工業高校、しかし、実態は自動車の製造を学ぶ場であり、デザインの学びとほど遠い環境だった。学校辞めたら勘当に対抗すべく、全ての答案用紙を白紙で提出という暴挙に出る、その後、見事、高校中退。長沢節モードセミナーへ向かった時の想いがどことなく、その時意見してくれたBowさんの気持ちなんだと知ったのは亡くなる間近のことだった。
僕に車の道に進ませたのは、まさにBowさんだったんだ。
「マサルくんね〜、好きなことやんなよ!」って、
そんな背中を押す大人は、ただ一人だけだったんだ!
その後、僕にとっての白紙の答案は、新卒で環八沿いにある車屋さんに入社したことだったのだろう。
The Final Promise
(病床で話したBowさんとの2つの約束のこと・・)
Promise 1, Triumph T100 daytona
「直してみなよ。きっとカッコ良いぞ!」
「あるんだよ、親友のとこに、でももう10年、もっとか、ほっぽいちゃってさ」
「あれ持って行って見てみてよ」
2024.6. 移動、その後、近所のバイク好きの年の離れた友人チーム一丸となって分業しながら修理しました。
2025.5.25 袖ヶ浦フォレストレースウェイ サイドウェイトロフィ
CAFÉ RACER’S TRIBUTE RUN で無事走りました。
Promise 2, Triumph TR3 Bow. Ken Special Racing
BowさんとKenさんが夜な夜な集まって作業した、伝説のTR3レーサー。
「もう、あれもダメになっちゃうよ。」
ブレーキなんかもガッチリ張り付いていて、やっと移動したのが、2024.8. その後、枯れ草や土や虫!を掃除して、シートを外し唖然、サビの塊は深い。
次のフォレストの Sideway か、次の次のフォレストか。
BowさんとKenさんが塗った漆黒のグリーンにして、いつかきっと走らせる!
その時は、Kenさんに最初のステアリングを握ってもらうんだ。
The Final Story
(最後にBowさんのTR3を譲って貰ったこと・・)
このTR3のことだけは、車を買うのではなく、ペットを“飼う”、の飼うのだと、しばしば話していました、
「でさ、マサルくんはさぁ、僕のTR3“飼って”くれるの?」
なるべく、そのままのオリジナル、必要になったら最低限手を入れていくのが良い。
プラスアースのままに、ポイント点火のままに、初期ダイナモ発電のままに、電動ファンだって取り付けていない。
もし付いていてもONして使えるほど、発電量足りないんじゃないかな。
でも、世の中がさらに、もう少し熱くなってきたら、流石に容量を上げないとダメかね。
シートはへっこんだまま、それでもなるべくそのままが良い、助手席のシートなんか、以前に猫の隠れ家にされちゃった時に引っ掻かれて裂けちゃって、今はTシャツを着させている。
このTR3に残された勲章、長年連れ添った相棒との記憶は、決して消えないから、でも、先日、20年位前からずっと漏れているラジエターネックの付け根のクラックは流石に補修しましたよ。
本当はもう僕もBowさんも知っていて、話していたんです。
飼われているのは、このTR3のオーナーなんだと。
ずっと一緒に過ごしてきた記憶をそのままに、引き継いで、走り続けて行くために、このTR3が繋ぐものは、Bowさんとみんなの記憶。
遺志を引き継ぐのは、ただそのまま乗っていくこと。
そんなことを病室で話したのが、最後。
覚悟を決めて、僕が、BowさんのこのTR3を“飼う”と決めて、暖かい温もりのある器用な手と握手をしたんだ。
ちゃんと、シングルナンバーもそのままに引き継げたんです。
サリートップのTR4は、僕の友人小久保くんが“飼って”くれます。彼は、このために長年愛用してきた、MGB(スプリットメッキバンパーコンブァージョン)から乗り換えました。
黄色のノートンバイク、あのロータス47GTも、MGC GTも、きっと、皆さんの廻りにもBowさんイズムが色濃く残る、Bowさんが描くキャンパスの中の、素敵なストーリーのような、想ひ入れのある自動車が沢山生きながらえていることでしょう。
Bowさんの想ひと遺志はずっと、引き継がれていく。
Bow. Ken Racing Spiritは、まだ再始動したばかり。
Bowさんとの約束の轍は今まさにスタートしたばかり。
Bowさんとの記憶に想ひを馳せて、このページを作りました。
ずっと探していた“夢のアジト”作品も、夢ではなかったのではないか?
と思えるような、想ひ入れのある車と共に、みんなが繋がれるサイトとなることを
夢見て・・